ここがすごいぞ!、若杉山辰砂採掘遺跡! 遺跡の重要性・評価の解説

 若杉山遺跡は、弥生時代後期における国内唯一の辰砂採掘の実態を示すことの出来る遺跡であると伴に、国内で最初の金属鉱山採掘遺跡である可能性は極めて高く、我が国における鉱石資源の利用の在り方、朱の生産の実態を示す遺跡として極めて重要な遺跡なのです。
 
 若杉山遺跡の生業年代は出土した土器からの観察で弥生時代後期から古墳時代初頭の1世紀から3世紀までです。この時代の日本列島で辰砂(水銀朱)は葬送儀礼などの祭祀に用いられるようになるなど、神聖なものとして取り扱われてきました。これは中国の神仙思想が日本列島に持ち込まれたとが大きな原因であると考えられています。また、『三国志「東夷伝倭人条」』(※通称「魏志倭人伝」)でも読み取れるように、大陸間の交流の中でも辰砂が貴重な産物として取り扱われています。このような社会情勢の中で辰砂は活発的に採掘され、それに伴い採掘技術についても大幅な発展があったことが推測できます。

 弥生時代後期にはすでに鉄器の使用は認められていますが、本遺跡においては鉱石の採掘に使用する鉄器は確認されておらず、採掘は石器のみで行われていたと考えられています。しかしながら非常に堅いチャート岩盤を、石器のみでの採掘で可能であったのか、令和元年の国史跡指定当時は未解決の課題となっていました。その課題解決のてがかりとなったのが、令和6年度の発掘調査で確認された「火入れ法」による採掘の痕跡です。
 若杉山遺跡内にある横穴掘りの採掘坑跡1が「火入れ法」により採掘が行われていたと仮定すると、その坑内からは「火入れ法」使用の痕跡が浮かびあがってきます。延沢銀山遺跡銀坑洞坑内のように煤は残っていませんが、若杉山遺跡採掘抗跡の天井部に見られる半球形状の痕跡は延沢銀山遺跡銀坑洞坑内と非常に酷似しています。さらに、火入れ法による痕跡のその他特徴は、坑内内面の岩壁が鋭角のない緩やかな曲線をたどる傾向にあることと、岩壁の表面が一般的に非常に滑らかになることがあげられています。若杉山遺跡の採掘坑跡1坑内をより詳しく観察すると、底部から緩やかに曲線的に立ち上がり(カマボコ形状)、天井部の半球形状痕跡の表面は滑らかになっています。また、これまでその解釈が難しかった採掘抗跡1内部で出土した弥生土器の甕片については、火入れ法には酢や酒などの液体を利用することも行われており、おそらく何らかの液体を入れるための器として内部に持ち込まれたと考えると説明することが出来ます。なお、液体の使用は採掘に直接関係なく、暖まった岩盤面を冷やすため、もしくは儀礼的な目的で使用されていたと考えられています。
 また、若杉山遺跡採掘抗跡1は鉱脈に沿って地中を掘り進む採掘方法で、いわゆる「ひ押し掘り」の形態となります。これは鉱脈を筋(線)として捉え、掘り進めた結果です。これに対して石灰岩露天採掘跡は筋ではなく、面を意識した堀方となっていることが現在に残された痕跡から読み解くことができます。つまり採掘がなされていた当時の工人は、辰砂脈の貫入状況を理解したうえで、適切な採掘をおこなっており、弥生人の採掘技術・知識の高さを知ることができます。