公開日 2017年09月10日
「下水道の日」とは?
「下水道の日」の前身は、昭和36年(1961年)に定められた「全国下水道促進デー」です。
当時の全国下水道普及率は、わずか6%しかなく、その普及促進を目指して制定されました。
そして、近代下水道の基である「旧下水道法」が制定された明治33年(1900年)から100年を迎え、
21世紀の始まりの年でもある平成13年(2001年)に、より親しみのある「下水道の日」に名称が変更されました。
9月10日は、そもそも雑節の1つである「二百二十日(にひゃくはつか)」にあたります。
立春から数えて220日目である「二百二十日」は、天候が悪くなる農家の厄日の1つとされており、
台風が襲来する確率が高まる日であるとも言われています。
大雨や台風への備えが必要とされる日であり、下水道の大きな役割の1つである「雨水の排除」に
通じるものがあるということで、この日が「下水道の日」に選ばれました。
「下水道の日」をきっかけに、皆様には下水道の役割について
御理解を深めていただきたいと思います。
※『広報あなん』9月号に、「下水道の日」特集が掲載されています!(P8)
下水道の歴史(世界)
汚水や雨水の排除を目的とする下水道は、世界中で古くから存在していたことが知られています。
紀元前3000~2700年頃のものと推定されるインダス川流域のモヘンジョ・ダロ遺跡では、
マンホールや沈殿池を備えた分流式(汚水と雨水を別々に排除する方式)の本格的な下水道が発見されています。
紀元前600年頃に完成したと伝えられる古代ローマの下水道「クロアカ・マキシマ」(「最大の下水」という意味)は、
かつては「世界最古の下水道」と呼ばれていました。
王政期から共和政期、帝政期を通して利用され、現在も一部が雨水管渠として使われています。
ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル(ああ無情)』に登場するパリの下水道は、
1370年頃から建設が始まり、1740年頃に大規模な環状下水道として完成しました。
産業革命を契機に、下水処理場を有する近代的な下水道の整備が始まりました。
イギリスでは、1890年頃から薬品沈殿による下水処理が開始され、
1914年には活性汚泥法による最初の下水処理場が完成しました。
下水道の歴史(日本)
日本では、古くは弥生時代や古墳時代の遺跡から、排水路の遺構が見つかっています。
藤原京や平城京には、大規模な道路側溝が設けられ、流水を利用した水洗トイレも使われていたと考えられています。
流水を利用した水洗トイレは、平安時代の高野山にも存在したことが知られています。
天正11年(1583年)、豊臣秀吉は大阪城築城に着手しますが、城下町の整備にあたり、
町屋から排出される下水を排除するための石積の下水道を建設しました。
「太閤下水」と呼ばれるもので、一部は現在でも下水道として利用されています。
明治時代に入ると、日本でも近代的な下水道の整備が始まりました。
コレラ大流行を契機として、明治17年(1884年)に着工した東京の「神田下水」は、
日本における近代的下水道の先駆けと言われています。
明治33年(1900年)には、日本最初の下水道に関する法律「下水道法(旧下水道法)」が制定されました。
日本最初の下水処理場は、東京の「三河島汚水処分工場」(現・三河島水再生センター)で、
大正11年(1922年)に運転を開始しました。
昭和5年(1930年)には、日本最初の活性汚泥法による下水処理場である
「堀留処理場」(現・堀留水処理センター)と「熱田処理場」(現・熱田水処理センター)が運転開始しました。
戦後、大都市中心であった下水道整備は全国的に展開されるようになります。
昭和33年(1958年)には、旧下水道法を廃止して新たに「下水道法」が制定されます。
公共用水域の汚染が深刻化する中、昭和45年(1970年)の法改正の際に「公共用水域の水質の保全に資する」ことが
下水道の目的として明記されました。
下水道の普及率は、平成6年(1994年)に全国平均50%を突破し、
平成28年度末の時点で、全国平均78.3%となっています(下水道以外の処理方法を含めた汚水処理人口普及率は90.4%)。
下水道の種類
下水道には、「下水道法上の下水道」と、それ以外の、下水道に類似した施設があります。
「下水道法上の下水道」は、以下の3種類があります。
〇公共下水道
市街地の下水(汚水と雨水)を、地下に埋設された管渠で排除し、終末処理場で処理して放流する。
市町村が管理する。
阿南市では、富岡町内で現在整備が進められています。
〇流域下水道
複数の公共下水道から排除される下水を流域幹線に接続し、終末処理場で処理して放流する。
都道府県が管理する。
徳島県では、旧吉野川、今切川流域の2市4町(徳島市、鳴門市、松茂町、北島町、藍住町、板野町)で
流域下水道事業が実施されています。
〇都市下水路
都市部の雨水排除を目的とする排水路で、原則明渠であり、終末処理場を有しない。
下水道に類似した施設として、市街地以外の人口密集地の汚水処理を目的とする「集落排水」(農業集落排水など)、
団地等の汚水を収集排除し、「浄化槽法」の適用を受ける「コミュニティ・プラント」などがあります。
阿南市では、羽ノ浦町岩脇地区に農業集落排水が、
羽ノ浦町春日野団地、那賀川町ゆたか野団地及び伊島町にコミュニティ・プラントがあります。
下水の排除方式には、汚水と雨水を1種類の管渠で排除する「合流式」と、別々に排除する「合流式」があります。
最初は合流式の下水道が多かったのですが、豪雨時に処理場の能力以上の下水が流入する危険性があるため、
現在は分流式の下水道が主流になっています(阿南市の公共下水道も分流式です)。
下水処理の方法
下水をきれいにする方法には、さまざまな方法がありますが、
多くの下水処理場で採用されているのが「活性汚泥法」という方法です。
活性汚泥法は、下水に「活性汚泥」と呼ばれる微生物群を混入して、曝気(水中に空気を送ること)することで
増殖・繁殖させ、その過程で水の汚れを分解してきれいにする方式です。
活性汚泥法の中でも、阿南市の処理場をはじめとして近年採用例が多いのが
「オキシデーションディッチ法(酸化溝法)」という方式です。
オキシデーションディッチ法は、もともとオランダの農村で酪農廃水を簡単に処理できるように考案された方式です。
循環式の水路にて、標準的な活性汚泥法よりも長時間(24時間以上)かけて、低負荷で処理を行います。
標準的な活性汚泥法よりも維持管理が容易で、かつ安定的な下水処理が可能です。
富岡浄化センターのオキシデーションディッチ槽
阿南市の下水道
阿南市の公共下水道事業は、現在富岡町内の80.8haの区域で実施されています。
汚水は富岡浄化センターで処理して打樋川に放流しています。
また、豪雨時には富岡雨水ポンプ場が運転開始し、雨水を桑野川に放流しています。
〇富岡浄化センター
所在地:阿南市七見町中塚550番地1
放流先:打樋川 供用開始:平成23年4月1日
項目 | 第1期計画 | 全体計画 |
処理区域面積 | 80.8ha | 676.0ha |
汚水処理方法 | オキシデーションディッチ法 | オキシデーションディッチ法+急速ろ過法 |
汚泥処理方法 | 脱水→搬出 | 濃縮→脱水→搬出 |
処理能力 | 2,600立方メートル/日最大×1池 | 2,600立方メートル/日最大×4池 |
BOD放流水質 | 15mg/リットル | 15mg/リットル |
SS放流水質 | 30mg/リットル | 30mg/リットル |
〇富岡雨水ポンプ場
所在地:阿南市富岡町佃町576番地1
放流先:桑野川 供用開始:平成18年度
項目 | 内容 |
排水区域面積 | 93.6ha(山地106.3ha) |
低段ポンプ場ポンプ |
Φ1500×3台 Φ700×1台 |
低段ポンプ場排水能力 | 16.43立方メートル/秒 |
高段ポンプ場ポンプ |
Φ800×1台 Φ700×2台 |
高段ポンプ場排水能力 | 3.83立方メートル/秒 |
公共下水道事業の計画区域にお住いの皆様には、工事などで御迷惑をおかけするかと思いますが、御理解と御協力をいただければと思います。
また、すでに供用開始になった区域にお住いの皆様には、下水道への早期の接続をお願いします。
※接続工事には助成制度がありますので御活用ください。
※接続工事は、阿南市が指定する排水設備指定工事店に御依頼ください。