公開日 2026年09月08日

国史跡 若杉山辰砂採掘遺跡
弥生人が“朱”を求め掘った、日本唯一の遺跡。
わかすぎやま しんしゃ さいくつ いせき — 阿南市水井町
今からおよそ2000年前、弥生時代の後期から古墳時代の初め。この阿南の地で、人々が山の岩盤を割り、赤く輝く鉱石「辰砂(しんしゃ)」を掘り出していました。辰砂は、古代の人々が土器や銅鐸に塗り、また墓室にを彩った、神聖な赤色顔料「朱(水銀朱)」の原料。中国の歴史書『魏志倭人伝』にも、倭国が朱の原料「丹(辰砂)」を産したことが記されています。若杉山辰砂採掘遺跡は、その辰砂を採掘・加工した遺跡として、現在のところ全国で唯一の存在。令和元年、国の史跡に指定されました。
この遺跡が「すごい」理由
① 弥生時代に辰砂を採掘した、全国で唯一の遺跡
赤色顔料「朱」の原料・辰砂。それを実際に山から掘り出し、加工していた弥生時代の遺跡は、全国を見渡してもここ若杉山だけです。採掘に使われた石杵(いしきね)や、朱に細かく砕くための石臼、辰砂の原石が大量に見つかっています。弥生・古墳時代の鉱物獲得の方法が具体的に明らかになった、初めての遺跡です。
② 露天と横穴、二つの採掘場
遺跡には、岩盤を垂直に掘り下げる「露天採掘」の場と、岩盤を横穴状に掘り進めた採掘場など4か所が確認されています。横穴は奥行き約14メートル、高さ70〜90センチメートル。まさに、古代の採掘の現場そのものです。
③ 朱を求め、各地の人々が集った
出土した土器を調べると、地元産だけでなく、鮎喰川下流域(約20キロ先)や香川県産のものが含まれ、遠くは山陰系・畿内系の土器も。石杵の一部には香川県東部産の石も使われています。朱を求めて、各地の集団がこの山に関わっていたことがうかがえ、古代の広域な交流を今に伝えます。
最新の発見 〜 国内最古の「火入れ法」か
近年、この遺跡はさらに注目を集めています。市と東京大学総合研究博物館の調査で、採掘跡の岩盤に「火を使った採掘の痕跡」とみられるすすの付着が確認されたのです。
硬い岩盤を、まきなどで熱してもろくし、石器でたたき割る——この採掘技法を「火入れ法」といいます。採取された炭化物の年代測定により、その痕跡は弥生時代後期〜古墳時代初期(1〜3世紀)のものと判明しました。
火入れ法は、奈良時代や江戸時代初期の文献に記述はあるものの、実際の痕跡は山形県・延沢銀山遺跡の江戸時代初期の坑道でしか確認されていませんでした。若杉山遺跡は鉱石の採掘に火を使った国内最古の事例です。同じころ中国やイタリアでも確立されていた技術で、古代の国内外の交流をうかがわせる、ロマンあふれる発見です。
※市は調査区の範囲を広げ、すすが付着した岩盤が他にないかなどを調べる方針です。今後の調査で、さらに解明が進むことが期待されます。
見学について

※イメージ図
ご見学を検討されている方へ
若杉山辰砂採掘遺跡は、急峻な山腹に位置する史跡です。安全確保の観点から、通常は自由な立ち入りによる見学が難しく、市などが実施する見学会・現地説明会での見学が基本となります。見学をご希望の際は、事前に文化振興課までお問い合わせください。なお、遺跡や出土品の一部は「阿波公方・民俗資料館」でも保管しています。
現在、市では史跡を安全に見学できるよう、令和5年度から概ね7年をかけて第1期の整備事業を進めています(令和11年度完成予定)。整備が完了すれば、見学路や説明板などが整い、より訪れやすい史跡となる予定です。
遺跡の概要
| 名称 | 若杉山辰砂採掘遺跡(わかすぎやましんしゃさいくついせき) |
|---|---|
| 所在地 | 阿南市水井町 |
| 時代 | 弥生時代後期~古墳時代前期(およそ1~4世紀ごろ) |
| 史跡指定 | 令和元年(2019年)10月16日 国指定史跡 |
| 立地 | 若杉谷川西側の山腹斜面(太龍寺山の北側) |
もっと詳しく
若杉山辰砂採掘遺跡について、さらに詳しくは、以下の公式ページでもご覧いただけます。

