公開日 2010年11月10日
阿南は古くから物なりの豊かな地帯だったらしく、縄文時代の遺跡や弥生時代の銅鐸、古墳時代後期のものと思われる墳墓が遺されており、「日本書紀」には全国二六カ所に設けられた屯倉(朝廷の直轄領)のうちの 一つだったと記されています。
四国霊場21番札所太龍寺(たいりゅうじ) |
由緒ある寺社も多く、平安時代初期に創設されたと伝えられる津峯神社や、三件の国指定文化財を擁する八桙神社、弘法大師が創建したといわれる四国霊場二十一番札所の太龍寺や、二十二番札所・平等寺など、敬虔な祈りの場として遠来からの参拝客が絶えません。 |
初代阿波公方足利義冬(あわくぼうあしかがよしふゆ)像 |
室町時代末期には十代将軍足利義稙が家臣の専横に合い阿波に逃れ、その養子義冬が当地に居を構え「阿波公方」と呼ばれました。その子義栄が一旦上洛し十四代将軍となりましたが、わずか7カ月後に病没し、その後子孫は九代・二七〇年にわたって阿波公方として当地に過ごし、その歴代をしのばせる史跡や文化財を多く遺しています。 |
阿波(平島)公方館跡(あわひらじまくぼうやかたあと) |
また、戦国時代に勇名を馳せた椿泊の阿波水軍跡や、幕末に活躍した、シーボルトの門弟で鳴滝塾の初代塾頭の一人となった美馬順三の墓などが歴史の名残をとどめています。 |
木造大己貴命立像・木造男神立像(もくぞうおおなむちのみことりつぞう・もくぞうだんしんじつぞう) |
美馬順三(みまじゅんぞう)墓所 |
樟の群生(くすのきのぐんせい) |
流水文銅鐸(りゅうすいもんどうたく) |
紙本墨書二品家政所下文(しほんぼくしょにほんけまんどころくだしぶみ) |