公開日 2025年08月27日
キラリ輝く 第3回【世界一を自負する技術力とがん患者支援の「二刀流社長」】との対談
- 株式会社SGIC 代表取締役
- NPO法人AWAがん対策募金 理事長
- 勢井 啓介(せい けいすけ)さん
世界一を自負する技術力とがん患者支援の二刀流で活躍する社長と岩佐市長が対談
キラリ輝くの第3回目は、 自身で開発された「ダブルベルトプレス機」を活用した「ニッチ※1の中のニッチ」、いわゆる「スーパーニッチ」な産業で多くの取引先(クライアント)の依頼に的確に応えるなど活躍されながら、自身の経験から、がんと闘う患者や支えるご家族に対して支援を行われている、株式会社SGIC(エスジック)代表取締役でNPO法人AWA(あわ)がん対策募金理事長の「勢井 啓介(せい けいすけ)」さんと対談させていただきました。
株式会社SGICをはじめたきっかけやNPO法人AWA(あわ)がん対策募金を立ち上げられた経緯、これからの阿南市についてなどいろんなお話をお伺いしました。
多岐にわたって輝かれているその魅力に迫ります!
※1ニッチ 「隙間」や「くぼみ」を意味する言葉で、ビジネス分野では、特定のニーズを持つ規模の小さい市場や顧客を指す
対談

岩佐市長=岩 勢井社長=勢
【岩】
本日は対談の機会を設けていただきましてありがとうございます。
勢井さんのこれまでの歩みなど、いろいろお話が聞けたらと思います。
よろしくお願いします。
【勢】
こちらこそよろしくお願いします。
【岩】
早速ですが、勢井さんが代表を務められている「株式会社SGIC」を始められたきっかけを教えてください。
【勢】
高校を卒業してから県外に行き、主に機械設計や実証試験など開発に関係する仕事に10年ほど従事していました。
家の都合により、29歳のときに阿南市に帰ってくることになり、現在の王子製紙株式会社富岡工場の前身である神崎製紙株式会社富岡工場の機器メンテナンスや機械設計などを行っていました。
ただ私自身の感覚としては、「設計をしている」というよりは、どちらかと言うと「お絵描きをしている」という感覚に近く、正直あまり仕事が楽しいと思っていませんでした。
そうは思っていましたが、阿南に帰ってきて1年くらいして結婚したことで、家族として生活をしていかないということもあり、もう一つだなと感じながらも続けていました。
【岩】
それは思うような「やりがい」みたいなものが無かったということですか。
【勢】
そうですね。「やりがい」はどうだったかなと思いますが、懸命に働きました。
それでも結婚して家庭を持つということは自分の中では大きなことで、家族を守るため20年間仕事を続けることができました。
そして48歳の時に、働いていた会社が解散したことをきっかけに、起業をしました。
【岩】
そうだったんですね。
ちなみに、大変失礼ですがご年齢をお伺いしてもよろしいですか。
【勢】
70歳です。
【岩】
70歳ですか。
ということは、SGIC(エスジック)を立ち上げられてから、22年ということですか。
【勢】
会社自体は、あまり伸びずにゆっくりした売上なんですけどね。
たまに(売上が)ドーンと上がったなと思ったら、直後にドーンと落ち込んだりして経営は大変でした。
【岩】
会社を経営されるようになるまでは一社員として働いてこられて、現在は、「経営者」、「会社の代表」として動かれていて、それぞれ別の苦悩があると思います。
起業されるまでは、機械の設計や開発をされてきたと言われてましたが、それは起業されてからもそこまで大きくは変わらず22年間経営されてこられたんですか。それに加えて、機器メンテナンスもされていたんですか。

【勢】
そうですね。
【岩】
なるほど。
【勢】
起業した当時は、やっぱりご飯を食べていかないといけないという気持ちが強く、お客様が要望する「機械」や「自動機」などの設計・製作をしていました。
【岩】
メンテナンスに入っている会社さんのニーズに応じたようなものを作ってこられるなど、ずっとそのご要望に応えてこられたわけですね。
【勢】
そうです。当時はメンテナンス部隊も5~6人ほど居ましたけど、現在は2人態勢で行っています。
そのほかは、機械設計や電気設計、調達、事務員などを合わせて12人でやっています。
ただの「ニッチ」ではないんです。「スーパーニッチ」なんです。
【岩】
少し重複するかもしれませんが、結婚されて家族を持たれることで、安定的にご飯を食べていく必要があると思うと、独立するってものすごく壁が高いようにも思います。
それでも独立された、その強い想いなど何か持たれていたんですか。
【勢】
正直、最初はそこまで強い想いっていうのはありませんでした。
でも、会社を経営している中で「ダブルベルトプレス機」の開発が出来たことで大きく変わりました。
今は、GNT(グローバル・ニッチ・トップ※2)として経営しているわけですが、我々はただの「ニッチ」ではないんです。「スーパーニッチ」なんです。
【岩】
なるほど。「ニッチ中のニッチ」ということですね。
【勢】
弊社に来られる大企業の方々も、今はどこもニッチなことしかやらないです。
我々の「ニッチ」に比べると規模は大きいですが、ニッチなことをしないと勝てない状態になってきているように感じます。
【岩】
仰られたように、競争を勝ち抜くためにはニッチな事業を選択するというのは傾向として感じます。
その中でも、勢井さんはもっとニッチなところを選択されているわけですよね。もちろん勢井さん自身が持たれていた知識とか経験を生かせるといったところもあったかとは思いますが、スーパーニッチなところを攻めようと思った理由ってなにかありますか。

【勢】
もちろんあります。
少人数で生き残ることを考えるとニッチな分野であっても世界一の実力をつければ生き残ることが出来るのではないかと思ったこと。更には時代の変化も味方になり、顧客が弊社の装置を求めるようになってきたということもあって、最近ではお客様の方から見つけてくれることが増えました。
今では、お客様の生産性向上や素材開発などを行っています。その結果、お客様から世界一の技術だと仰っていただけるようになり、この分野において世界一だと自負しております。
【岩】
今までに培われた技術は、日本だけに止まらず世界中の方から求められていると思います。今後においてもその素晴らしい技術をさらに活用されて、新たなことにもどんどんとチャレンジしていただきたいと思います。
【勢】
そうですね。
そうなるために、他とは違った変わったこともできないといけないですし、ここに来れば良いものができるということをもっと感じてもらえるようにしたいと考えています。
※2グローバル・ニッチ・トップ 特定のニーズを持つ規模の小さい市場や顧客において、世界的に高いシェアを持つ企業のこと
がん患者が闘病生活を送る中で直面する悩みや負担を少しでも軽減したい
【岩】
勢井さんの仕事への熱い想いですよね。
「会社を守らなければならない」とか「(クライアントを)裏切れない」というその想いがとても伝わりました。
次の質問になりますが、勢井さんは株式会社SGICの代表取締役を務められながら、NPO法人AWAがん対策募金の理事長も務められています。
NPO法人AWAがん対策募金を立ち上げられた理由について教えてください。
【勢】
48歳のときに起業しましたが、起業と同時期にステージ4の結腸がんと診断されました。どこで治療を受けるかを考え、国立がん研究センターで治療を受けることにし、なんとか完治することができました。
【岩】
どれくらいの期間治療をされたんですか。
【勢】
丸三年間闘病生活を送りました。
闘病生活を終えたときにくらいに、徳島県の職員の方から「がん患者の支援のために寄附をしたいという方が居るので、その受け入れ先を作ってくれないか」という相談をいただきました。
私自身も、この闘病生活をとおして、がん患者が抱える経済的や精神的な悩みにも直面し、その辛さを実感しました。
この経験から、少しでもがん患者の闘病生活を送る中で直面する悩みや負担を軽減したいと思うようになり、NPO法人を設立することにしました。

【岩】
この対策募金の目的は、直接治療に対する支援というよりは、治療を受ける間の経済的支援など生活をバックアップしてあげたいという意図で、がん患者やご家族に対して給付されているということですか。
【勢】
そうです。
ただ、どうしてもお金も限られていることから、現在は、小学生、中学生、高校生、専門学生や大学生などの「学生」を持つ親御さんに限定して支援を行っています。
この支援を行っている中で、直接手紙を送っていただいたり、メッセージを頂いたりします。そこには、切実な思いがつづられており、「ああ。少しは役に立てているな」と思います。
【岩】
そうなんですね。
お話を聞いていて、この対策募金は勢井さんの経験から成るものだと改めて感じました。
起業されて、さあこれからというときにがんを患われた。会社を守らなければという思いもあるでしょうし、ご自身もお子さんがいらっしゃって、家族も守らなければならないところも当然にあって、ものすごく悩まれたでしょうしご苦労もあったと思います。
そういう思いもあって、この対策募金での支援対象となるのが、先ほども教えてくださった、小中高生、専門学生や大学生を持つ親御さんへの支援ということにつながっているんだなと思いました。
今後ですが、このAWAがん対策募金をどうしていきたいなど、勢井さんの思いがあれば聞かせてください。
【勢】
まず一番は、このような支援をしなくてもいい世の中になってくれればいいなと思っています。
やはり大きい支援になってくると民間では難しいことがたくさんあると、NPO法人を運営していて感じました。
【岩】
ありがとうございます。
それでは、あと何点か質問させていただきます。
勢井さんが思う阿南市の「好きなところ」とか「魅力」についてお聞かせください。
【勢】
阿南市に来られるいろんな方から、「何もない」というお言葉をいただくことが多いです。
だからこそ、この真っ白な状態から「新たな魅力」を生み出すことが求められていると感じています。
特に、親子が気軽に遊びに行けて、気軽に休めて、すぐ近くで食事ができる。そういった複合的なものが必要だと思います。
【岩】
街中の憩える場所ということですよね。公園だけじゃなくて複合的な施設ですね。
良く聞く声としては、阿南で買い物に行く場所がない、遊ぶところがない、雨が降ったときにすることがないというようなお言葉をいただきます。
また阿南市の人口も現状でいうと年間1,000人ほどのペースで減っていることから、何かしらの手は打たないといけないという危機感を持っていますので、また様々なご意見をお聞かせいただければと思います。
それでは最後の質問になりますが、勢井さんは、会社の社長としてもNPO法人の理事長としても活躍されており、個性という部分ではとても輝いていただいていると思っています。
これからもこの阿南の地でさらに輝いていただきたいと思っていますが、勢井さんとしては今後どのように輝いていきたいと考えていますか。
【勢】
現状では対応できない素材もあり、従来にない装置の開発を社員と共に行っています。そしてこのスーパーニッチな分野で更に尖りたいと思っています。「夢なきものに成功なし」何事にも夢を持ち続けていきたいですね。これからも夢を一緒に追いかける仲間を増やしていきたいと思っています。
【岩】
今後もグローバルニッチトップとして更に磨きをかけ、会社としても勢井さん個人としても「異彩」を放ち、強い光となって輝いていただきたいと思います。
固定概念にとらわれず、新たな発想をもっていろんなことにチャレンジしてほしいと思います。
本日はお忙しいところありがとうございました。
【勢】
これからも頑張ります。
ありがとうございました。