平成26年5月 北条民雄 生誕100年

公開日 2016年07月21日

 

北条民雄 大正3年(1914年)9月22日~昭和12年(1937年)12月5日


 軍人であった父の任地ソウルで生まれ、翌年、母の病死により徳島県那賀郡の母の生家に帰り、祖父母のもとで養育され昭和4年に上京。18歳の時、1歳下の色白の美しい娘と結婚。しかし、ほんの4カ月の新婚生活の後、本人の病ゆえの離婚とその女性の入水自殺未遂、翌年の死…。民雄はハンセン病と診断され、全生(ぜんせい)病院(国立ハンセン病療養所多磨全生(ぜんしょう)園)へ入る。
 当時の人々はハンセン病と聞くと、差別を伴う不治の病として絶望したのでした。民雄の病状はそう重くはなかったが、発病して以来ずっと死ぬことを考えていました。死を意識した民雄にとって、“生きる”とは文学となりました。
 民雄が療養所に入った一日の様子を描いた衝撃的な作品『いのちの初夜』(1936年)は、文學界賞を受賞。ベストセラーとなり、角川文庫版のこの本は27万4千部が読み続けられ、今も版を重ねています。
 民雄を最初に世に出したのは、15歳年上の川端康成でした。二人の往復書簡は90通にも及び、23歳で逝った民雄の死の当日には、遺体にも面会しています。
 民雄と川端の心の交流を中心に再び北条民雄に光を当てたのが、髙山文彦著『火花 北条民雄の生涯』(1999年)です。この作品は、第31回大宅壮一ノンフィクション賞、第22回講談社ノンフィクション賞を受賞しました。
 作者、髙山文彦(本名・工藤雅康)君とは30年来の親しき友人です。彼は優しい心根(こころね)を持っています。彼は、民雄の本名や出身地が判明したにもかかわらず公表していませんが、彼の心のありさまをよく知る私には、髙山君の心の目は、いつも民雄とともに、あの那賀川を見ていることをよく知っています。

阿南市長 岩浅 嘉仁

 

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お互い30代の髙山文彦氏と筆者

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