市長通信-お元気ですか

公開日 2017年02月24日

2017年

 


●市長通信 お元気ですか バックナンバー

 

1月 新年と新庁舎に願いを込めて

明けましておめでとうございます。

今年一年が市民の皆さまにとりまして、幸多き年となりますようお祈り申し上げます。「一年の計は元旦にあり」。この言葉の出典は中国明代の馮應京(ひょうおうきょう)の「月令広義」が有力とされていますが、日本の文献の早いものでは、江戸時代中期の風来山人の「風流志道軒伝」に、「一日の計(はかりごと)は朝にあり、一年の計は元日にあり」を古人の詞(ことば)として引用しています。北半球において、日本はロシアの極東地帯に次いで初日の出を仰ぐことができます。しかし、今年の日の出は、世界を未踏の境地へ進めるものかもしれないと言われています。もちろん、今月就任するアメリカ新大統領の動向です。トランプ大統領がジョーカーだけは切らないように祈りたいものです。コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは、1492年。その9年前、日本では銀閣寺が完成していました。新年にあたり、長い歴史と文化で育った私たち日本人は、いかなる状況でも英知を持って、泰然として、新たな歴史を作っていかなければならないと思っております。
さて、本年3月には待望久しい新庁舎が、全面的に落成いたします。
直近の調査では、全国813の特別区、市の本庁舎のうち、約3割強が耐震基準を満たしていません。昨年の熊本地震では、宇土市や八代市などの庁舎が損壊し、使用できなくなったため、行政機能がストップしてしまいました。特に築51年の宇土市役所は、建物のほとんどが押しつぶされました。役場の機能が止まると、災害対策本部や復旧復興の司令塔がなく、被災者が支援を受ける際に必要な罹災(りさい)証明書の発行に大きな混乱が起きました。
今度の阿南市役所新庁舎は、市民を守る防災拠点としての機能を備えています。
 1  建物本体に地震動の入力を抑える強力な免震構造を採用
 2  1500本の地盤改良砂杭打設による液状化対策
 3  自家発電システム採用により、3日間、通常業務が可能
 4  津波対策として、各玄関口に防潮扉を設置
 5  低層棟吹抜け空間の一階フロアを一時避難スペースとして市民に開放など
大規模災害時でも業務が続けられ、市民を災害から守る強力な砦となります。
市民に愛され、市民を守る、新庁舎の完成を楽しみにしていてください。

阿南市長 岩浅 嘉仁

初代庁舎 旧庁舎 新庁舎完成予想図
初代庁舎 旧庁舎 新庁舎完成予想図
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2月 SOLVAY ソルベイ・スペシャルケム・ジャパン株式会社

昨年末から世界的に不透明で、暗いニュースが続いてきましたが、今月号の市長通信は、本市にとって明るいニュースを一つお伝えします。
市民の皆さまは、大潟新浜工業団地に立地している阿南化成株式会社をご存じでしょうか。この会社は平成元(1989)年1月に操業を開始したベルギーに本社を置くグローバル総合化学メーカー「ソルベイ」のグループ会社です。「ソルベイ」は、1863年にエルネスト・ソルベイ卿が設立し、現在、世界53カ国、145工場、21研究開発拠点、従業員約3万人を抱える大企業です。150年以上の歴史をもつ名門グループで、阿南工場では、レア・アースを主体とした、自動車排ガス浄化用触媒の材料を世界に供給しています。この阿南化成株式会社が本年1月1日をもって、社名を「ソルベイ・スペシャルケム・ジャパン株式会社」に変更し、名実共に世界的名称を冠する企業となりました。本市には日亜化学工業株式会社をはじめ、多くの優良な企業が立地しています。今回、「ソルベイ・スペシャルケム・ジャパン株式会社」に加わっていただき、世界的にも阿南市の知名度が上がっていくものと確信しています。
掲載写真の前列左から3人目の白ひげの紳士が、「ソルベイ」創始者のエルネスト・ソルベイ氏です。彼は子どもの頃から病弱のため大学へ行くことができず、21歳の時に叔父の化学工場で働き始めました。1861年、ソルベイ法という画期的な発明をし、特許を取得。莫大な利益をもたらし、その収入を慈善事業のために使いました。ブリュッセル大学の一部に「ソルベイ・ビジネススクール」を設立し、後進の育成にも貢献。晩年にはベルギーの国務大臣にも就任しました。
なお、写真前列右から2人目で肘をついている女性がノーベル賞を2回受賞したキュリー夫人、後列右から2人目の男性がノーベル物理学賞を受賞したアインシュタイン氏です。当時の世界の英知が結集しています。
今日の化学の歴史を築いてきた名門企業が、私たちの阿南市に立地していただいていることは、子どもたちの大きな夢につながる貴重な財産だと思います。

阿南市長 岩浅 嘉仁

第1回ソルベイ会議(1911年)

    第1回ソルベイ会議(1911年)

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3月 山間(やまあい)の小さな、小さな映画館

阿南市きっての山紫水明の地・加茂谷。蛇行する那賀川中流域に位置し、平地は少なく、両岸の河岸段丘上に旧8カ村が一体となって地域を形成しています。のんびりと穏やかで、地域の一体感は強いのですが、最高で昭和15年には3676人いた人口も現在は2063人に減少しています。しかし、何とか村を再生したいと始まったのが、毎年5月に開催される「加茂谷鯉まつり」です。年々参加する人が増え、今や阿南を代表する風物詩となっています。
また、加茂谷元気なまちづくり会(代表:山下和久さん)が発足し、「人情のふるさと加茂谷で待っとうけんなあー」を合言葉に、移住就農やお試し農業体験ツアー、武蔵野大学農業体験ボランティア受入など、さまざまなアイデアを出し活動しています。
さて、この地で、去る2月12日、吉井町の古民家を改装したサテライトオフィス「屯(たむろ)」で、第1回「かもかも映画会」が開かれました。これは、東京や大阪でも限られた小さな映画館でしか公開されないミニシアター系の映画を阿南で見たいという声に、地域おこし協力隊の岩本昌子さんが映画製作会社に要請し、実現することになりました。
8畳と6畳の二間に座布団を敷き詰め、足の不自由な方にはパイプいすを用意し、横約2メートル、縦1.5メートルのスクリーンでみんなが家族になったような雰囲気で鑑賞できます。
第1回上映作品は、ドキュメント映画「人生フルーツ」という作品でした。90歳と87歳の老夫婦の日常生活の物語でしたが、私は感動しました。「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」、「長く生きるほど、人生はだんだん美しくなる」。長寿夫婦のひと言ひと言が、さりげない日常に生命を与えることがわかります。
「風が吹けば、枯葉が落ちる。枯葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、果実が実る。こつこつ、ゆっくり。人生、フルーツ」。ナレーションの樹木希林さんの一節です。加茂谷ならではの作品であったと思います。
今後も、岩本さんの力を借りて、通常は県内で上映されないようなミニシアター系の良質な映画を見てみませんか。

阿南市長 岩浅 嘉仁

 

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4月 シームレス民泊と瀬戸内少年野球団

今春から新野町において、いよいよ日本初の取組である「シームレス民泊」が始まります。4月8日には飯泉知事も出席され、開所式が行われます。この取組により、平時は歩き遍路の方々が、新野町において個人の家や施設(行政の許可を得たものに限ります)での民泊が可能になります。なぜ新野町かと言いますと、四国霊場第21番札所太龍寺から第23番札所薬王寺までの間には宿泊施設が少ないため、その方々の宿泊施設として設けます。また、津波の心配がない新野町は、食品工場や生活協同組合の物流拠点が集まっていて、食料の心配も少ないため、最適地として考えられました。四国八十八箇所のうち、歩き遍路の距離は約1200~1400キロと言われていますが、そのうち土の道は約100キロ(他は国道や県道などの舗装された道)。そのうち約10キロが加茂谷を中心とした阿南市内に存在しています。今後、外国人も含め歩き遍路の方々が増加していく中で、確実に需要が高まってくるといわれています。この民泊が、いったん災害が発生すると避難者に安心して生活してもらう避難所となります。これが、シームレス(つなぎ目のない)民泊の構想です。
さて、この写真は、1984年に公開された映画「瀬戸内少年野球団」(原作:阿久 悠さん)のロケが当時の新野小・中学校で実施されたことを記念して撮影されたものです。この時、新野駅からロケ地まで長蛇の列ができたそうです。
阿南市のそれぞれの町には幾多の歴史の蓄積があります。夏目雅子さんや岩下志麻さん、郷 ひろみさんが中央に写っています。この歴史を後世に残すためにも、市内有志から要望を受け、瀬戸内少年野球団ロケ地記念碑を建立し、市民の誇りにつなげたいと思います。

阿南市長 岩浅 嘉仁

 

瀬戸内少年野球団

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5月 高専の底力

「ノーベル賞をもらった人は日本に25人いるが、多くは田舎で子ども時代を過ごしている。子どもを本当にしっかり育てるのは、田舎の方が良い」。これは、「平成の野口英世」と言われ、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村 智北里大学特別栄誉教授の言葉です。大村先生ご自身も山深い山梨県韮崎市の農家の長男として生まれ、夜間高校の教師となり、一念発起して化学者の道へと進まれました。受賞が決定し、報道陣を前に大村先生があいさつしようと口を開きかけた時、事務方が「安倍総理からお祝いの電話です」と耳打ちすると、先生は「後でかける」と事務方に告げました。総理の方を待たせた硬骨漢です。人口減の時代で、経済成長を支えるには技術革新が欠かせませんが、大村先生の言葉には、「人間はあくまで自然の中にある」「自然という大いなるものに生かされているのが私たち人間であり、人間が創りだす科学技術もしかり」という哲学が語られていると思います。
さて、1年ほど前に、日本を代表する月刊誌「文藝春秋」に「『地方企業を支える高専の底力』最先端の技術と人材を供給する〝知られざる拠点〟」という見出しで、阿南高専に焦点を当てた記事が掲載され、大変誇らしく思いました。
つい最近も、大手新聞社系列の週刊誌に「地味にスゴイ!高専から難関大、人気企業へ!」という記事が載りました。阿南高専は、新産業都市をめざす阿南市に工業系の教育機関がどうしても必要であるとの声を受け、当時文部行政に強い影響力があった参議院議員の故三木與吉郎氏(阿波製紙株式会社社長三木康弘氏の祖父)や原 菊太郎元県知事、沢田 紋元阿南市長の三位一体となった懸命の誘致運動の成果と言われています。同校は1963年4月に仮校舎を見能林公民館と見能林中学校におき、その歴史の第一歩を踏み出しました。1966年にはほぼ今の姿となりましたが、建設費1億9228万円のうち県が63.13%、阿南市が36.87%を拠出し、阿南市は直接用地買収や登記事務にも協力し、見能林の広大な自然に囲まれた田園に〝知の殿堂〟が誕生しました。同校の飛躍的発展の一つに、2007年に国立高専では初めて開設された寄附講座があります。この講座には、日亜化学工業株式会社による10年間で研究費約5億円余りの助成が大きく寄与しています。「本校の学生は、中学卒業後の5年間で大学の工学部生に匹敵し、18歳、19歳から本格的な高いレベルの研究にもついていけます。事実、東大の大学院生にも負けないどころか、それ以上の研究ができる学生もいます」。前職が東京大学生産技術研究所特任准教授で現在、阿南高専客員教授の塚本史郎先生の自信に満ちた言葉を紹介しました。

阿南市長 岩浅 嘉仁

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6月 好きな言葉は恋?愛?

今月の市長通信は、何を書こうかと、だいぶ悩みました。原稿の締切日が毎月17日前後なので、この文章は5月15日に書いています。相変わらずの拙文ですが、ご辛抱ください。
毎週土曜日の朝日新聞朝刊に、二者択一形式であなたはどちらが好きですかという設問の結果を、パーセンテージで掲載する面白いコーナーがあります。今回は「あなたの好きな言葉は恋?愛?」というアンケートでした。結果は恋38%、愛62%となっています。広辞苑によると「恋」は、「一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に男女間の思慕の情。恋慕」とあります。
一方、「愛」は、「親兄弟のいつくしみ合う心。広く人間や生物への思いやり。男女間の愛情、かわいがること。めでること。大切にすること。キリスト教で神が自ら犠牲にして人間をあまねく限りなくいつくしむこと」となっています。
「恋愛」という言葉は情熱の発露ともいえますが、世界の言葉には、愛に関する格言や文章が最も多くあります。
失礼ながら、この新聞の読者のコメントを紹介しますと、
・「恋=(イコール)松山千春、愛=美空ひばり。昭和の名曲の歌詞を読み解くと明確な違いがわかる」
・「恋の方が軽いという扱いを受けている。恋は直木賞、愛は芥川賞なのか?」
・「確かに『恋が愛に変わった』とは言うが、『愛が恋に進化した』とは聞いたことがない。愛の対象は、親子や兄弟、ペット、郷土など広いが、恋の相手は人間(主に異性)だけ。この点、恋より愛は上を行く」等々
一様に愛は崇高な言葉と認識されています。
女優吉行和子さんの兄で、芥川賞作家吉行淳之介さん(平成6年70歳で死去)はエッセイや座談の名手で、恋と愛の違いについて次の言葉を残しています。「恋というのは情熱がそれを支えている。愛は、認識とか忍耐がそれを支えている。恋が終ったあとでその人間関係が維持できるとすれば、今度は愛へと移行している」。歌手で女優の宮城まり子さんと同志として30年を超えて人生を寄り添いました。

阿南市長 岩浅 嘉仁

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7月 藤井聡太くん、天才たち

今、藤井聡太(ふじいそうた)という名前が日本国中を席巻しています。5歳のときに祖母から将棋を教わり、21世紀生まれで初となるプロ棋士となり、デビュー後の連勝記録を27に伸ばし、歴代最多連勝記録28に王手をかけています。(6月19日現在)平成14(2002)年7月19日生まれの14歳。アリストテレスは「わずかな狂気も交じらない天才はいない」と言っています。藤井くんには、その若さに関係なく将棋盤に向かうと、駒という天才的狂気が華麗に舞う、全宇宙に見えるのかもしれません。
レーマンという心理学者が「独創と年齢」について研究しています。それによると、天才的な独創は30代を中心としますが、まず詩と器楽作曲の天分が最も早期に現れるそうです。驚くことにダンテは9歳で詩を書き、ベートーベンは13歳で3つのソナタを作曲したそうです。アンネ・フランクも13歳から日記を2年もの間書き続け、『アンネの日記』は第二次世界大戦時の最も有名で最も感動的な個人的手記となりました。フランス印象派の画家、クロード・モネは15歳のときには、画家として商業的な成功を収めていました。モーツァルトもこの年齢で「交響曲第14番」を作曲しています。フランス人の小説家、フランソワーズ・サガンは18歳にして『悲しみよこんにちは』を書き、たちまち評判となりました。日本人では、室町時代の能楽者、世阿弥は12歳にして、第3代将軍足利義満に認められ、能楽を大成させるきっかけをつかみました。上杉謙信は14歳で初陣を飾り、天賦の軍才を持つ軍神へのスタートを切りました。
また、三島由紀夫は、祖母が好んでいた歌舞伎や能、小説などに親しみ、学習院中等科に進学して文芸部に入り、14歳にして処女作「酸模秋彦(すかんぽあきひこ)の幼き思ひ出」を発表しました。
先述のレーマンによると、30代前半の天才は物理学、数学、交響曲、植物など、30代後半は天文学、生理学、哲学、オペラ作曲、40代以後に独創性を発揮するのは小説、現代建築、現代絵画だと分析しています。人間は、幼い頃から非凡な才能を発揮する人もいれば、晩年になって大活躍する人もいます。
しかし、物事が思いどおりにいかないのが人間の常であろうと思います。人生は帰りのない片道切符。これだけは万人に共通した普遍の真理です。私たちは、今日が一番若い。明日は一日年をとります。せめて、「人生一寸先は明るい」と思って生きたいものです。

阿南市長 岩浅 嘉仁

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 8月 母の愛で森と海を結んでほしい

徳島新聞「鳴潮」、朝日新聞「天声人語」、読売新聞「編集手帳」、毎日新聞「余録」、日本経済新聞「春秋」、産経新聞「産経抄」…。
各新聞には、一面に短い記事を載せる囲み欄、いわゆるコラムがあります。多くの人が朝刊を手に取ると、真っ先に目を通すところだと思います。このコラムの集大成だけで単行本となり出版されることもありますから、毎日々々、担当筆者は渾身の筆致力を発揮していることと思います。
さて、引用で申し訳ありませんが、去る7月10日の「産経抄」を紹介します。
「2008年5月に起きた中国・四川大地震の現場から、新華社通信が伝えたエピソードである。建物の崩壊現場で、母親が赤ちゃんをかばうような姿勢で亡くなっていた。生後3カ月の男の赤ちゃんは、母親の体の下ですやすやと眠っていた。赤ちゃんをくるんでいた毛布から見つかった携帯電話には、母親の遺書が残されていた。『あなたが生き延びてくれたなら、私があなたを愛していたことを忘れないでね』」。(以上引用)
今回の九州豪雨でも1歳の息子を抱きかかえたまま亡くなっていた若い母親がいました。その母親は2人目の子どもを身ごもっていました。また、両親を亡くした38歳の男性は、通夜の席で「また生まれ変わったら、次も両親の子どもになりたい」と呼びかけたと言います。これは、ドラマではありません。過酷で悲惨な現実です。
「災害は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の言葉はあまりにも有名ですが、具体的に「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」とつづっています。文明が進み、経済的にも発展する度に災害はより大きく激しくなると警鐘を鳴らしていますが、自然の本質について、「自然ほど伝統に忠実なものはない」という冷静な言葉も残しています。また、「津波を知る人がいなくなった頃、津波がくる」と言い伝えが残っている地域もあります。古来、「水を治めることは国を治めることだ」と言われています。
日本は、国土面積の70%を山岳地帯が占め、山腹の麓に住宅を建てることが多いために、豪雨による山腹崩壊により、毎年人の命を奪う災害が起こっています。また、日本の河川のほとんどが急流であり、大雨が梅雨と台風期という短い期間に集中する傾向があります。
「森は海の恋人」。よく聞く言葉です。森から海へ流れ込む鉄分など滋養分が魚の餌の植物プランクトンを育てるという意味で使われますが、森を丁寧に管理し、降る雨を土壌にしみこませ、森の保水力を高めなければ、日本の水害はなくなりません。県内のある女子中学生の作品「森の木にそっと耳あて水の音」。自然は生きています。

阿南市長 岩浅 嘉仁

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9月 市民の手でまちの本屋の生き残りを

今、全国の街中(まちなか)から本屋が次々と姿を消しています。
民間企業「アルメディア」の統計は、純粋に本を中心に扱っている書店数の統計で、経済産業省の調査よりも実態に最も近い数値といわれています。それによりますと、かつて2万店を越えていた全国の書店数は、2002年に1万店台となり、現在では、1万2526店で、1999年から2017年までに9770店の書店が減少しています。仮に、この推移が続くとなると、2020年には9000店台になるだろうと予測されています。
今、書店が一つもない市区町村は363自治体に上っています。逆に、図書館はここ10年で倍近くに膨れ上がっているそうです。
先日、NHK総合テレビで北海道留萌市の取組が紹介され、感動しました。留萌市は日本海に面し、1950年代中頃まではニシン漁で繁栄し、活気あふれる地方都市でした。音楽家のあがた森魚(もりお)氏や森田公一氏の出身地です。しかし、人口減少(6月末日現在2万1870人)とともに、一度は本屋が消えてしまいましたが、市民グループが大手書店に働きかけ、市民の協力で書店を復活させたという感動のドキュメンタリーでした。
また、青森県八戸市では、市が書店「八戸ブックセンター」を開業していますが、約4000万円は市の持ち出しになっています。「文明は腹の足し、文化は心の足しになるもの」という言葉があります。この4000万円はどう考えるでしょうか。
「本というものは、僅(わず)か数行でも役に立てば、それだけで十分値打ちのあるものだ」。著名な歴史学者、思想史家である津田左右吉氏の言葉です。また、読書の効用に「読書随所浄土」という言葉もあります。これは、「読書が好きで、読み出すとまるで催眠にかけられたように本の中に溶け込む」という意味です。国民的大作家であった司馬遼太郎氏は、「21世紀に生きる君たちへ」の中で「私は、歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。歴史とはなんでしょうと聞かれるとき、『それは大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです』と答えることにしている」と書いています。まさに、歴史は将来をよむテキストです。「空前絶後」の意味を聞かれて、「午前中は空腹で、午後に気絶した」と答えた大学生がいました。
小さいときから本に親しむ必要を感じざるを得ません。

阿南市長 岩浅 嘉仁

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10月 関西からの温かい便り

9月初旬、関西からうれしい贈り物が届きました。9日に、中林町出身でプロ野球オリックス・バファローズ2年目の杉本裕太郎選手が、プロ初安打で先頭打者本塁打を放ちました。プロ初安打を初回先頭打者アーチで飾ったのは、パ・リーグで4人目の快挙だそうです。
そして、10日には、阿南市市民会館で、天羽会桐流チャリティー公演が行われました。家元天羽祥瑞先生は、山口町のご出身で、大阪府豊中市で昭和62(1987)年に古典舞踊の天羽流、新舞踊の桐流を創流。後援会会長は中川和雄元大阪府知事が務め、関西、徳島と多くのお弟子さんを抱え、ご活躍されておられます。年1回大阪で開催される「関西・阿南ふるさと会」(会長:大日本塗料株式会社社長 岩淺壽二郎氏(宝田町出身))では、阿南市ふるさと大使として、毎回華麗な舞を披露していただいています。
今回のチャリティー公演には、筑前琵琶奏者で、昨年唯一の人間国宝として認定された奥村旭翠先生も特別参加をいただき、荘厳な音色を披露していただきました。
青芝フックさんの軽妙な司会により、時が経つのも忘れるような充実した舞台が続き、家元の「王将一代小春しぐれ」の舞で最高潮に達し、フィナーレでは、小松島市在住の東根泰章さん作詞のふるさとソング「阿南ええでよ」を加茂谷出身で元プロ歌手の豊田 清さんによる熱唱のもと、桐流有志全員の舞が披露され、千秋楽となりました。驚いたことに、観客の方々が「よかった!よかった!」とみんな笑顔で家路につかれるときに、多くの方がチャリティー募金箱に浄財を提供して帰ってくれました。入場するときより帰りにお金を入れてくれる人が多いということは、来て本当によかったという心の表れだそうです。そして、その貴重な浄財は天羽先生自ら阿南市役所へお持ちいただきました。
「私の故郷は、阿南市、豊中市、舞踊」と公言される天羽祥瑞先生に心から敬意を表し、感謝したいと思います。

阿南市長 岩浅 嘉仁

天羽祥瑞先生(左)と奥村旭翠先生(右)

   天羽祥瑞先生(左)と奥村旭翠先生(右)

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