平成22年2月 加藤松林人(しょうりんじん)のこと

公開日 2010年02月01日

 昨年11月、約2週間にわたり大阪の韓国文化院において、「韓国をこよなく愛した画家 加藤松林人」展が開催され、多くの来場者に大きな感銘を与えるとともに望郷の念を抱(いだ)いていただきました。
 加藤松林人は、1898(明治31)年9月16日、那賀郡桑野村中分(現在の阿南市内原町)で、父・安三、母・ミツヲの長男として生まれ、富岡中学(現在の富岡西高)を経て、早稲田大学文学部予科へ入学。1918(大正7)年、20歳のときに父の事業の関係で、京城(現在のソウル)に移りました。
 京城で画塾を開いていた清水東雲(四条円山派の森寛斎門下)に東洋画の手ほどきを受け精進を重ねて、風景、静物などに独自の境地を拓(ひら)いていきました。
 1922(大正11)年、第1回朝鮮店に風景画の2点が入選したのを皮切りに、第4回展では「室内の春」が特選になるなど、着実に実力をつけていき、朝鮮画壇で不動の地位を築きあげ、朝鮮王室で、絵の進講・指導をするなど朝鮮美術界の中心的存在となりました。
 戦後、日本に帰国後は、画壇活動には復帰せず、親善活動と美術交流に努められました。
 氏の数々の功績は国交回復以前の1963(昭和38)年、韓国政府による戦後の公式招待日本人第1号として、作家・小田実氏とともに、招待をされるという形で結実をしています。
 1983(昭和58)年2月14日、滋賀県大津市で逝去。享年84歳でした。
 朝鮮在住30年間に、半島各地をめぐり、風景や風俗、街並みや暮らしぶりなどを優しい色合いで描いた氏の作品は、今、ご遺族のご厚意により阿南市に寄贈され、市の貴重な財産となっております。
 近い将来、釜山やソウルでも展覧会を開催し、でき得れば、多くの景色が描かれている北朝鮮のピョンヤンでも実現できれば、阿南市の貴重な財産が「南北朝鮮」の融和の架け橋となり、加藤松林人の遺志に沿うことになるのではないかと考えています。

阿南市長 岩浅 嘉仁

韓国時代風俗(洗濯)

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